歴史探訪  雲仙  島原  諌早湾             2014.12.11

島原城は 三河深溝松平家が代々城主を勤めた城

小浜温泉 旅館國崎で朝食後、

町の共同浴場 脇浜温泉浴場へ小雨の中傘をさして歩いて行く。

朝ごはんを食べ

雨降る中を

温泉 銭湯へ と歩く

古びた建物

昔ながらの銭湯

富士山などの壁絵はない

昔ながらの銭湯で、湯船もそれほど大きくはない、壁絵もない 殺風景な銭湯だ。

しかし、泉質はとっても良く、お肌すべすべ感は、はんぱ無い。

浜の源泉

日本一長い 足湯  (現在)

1番下流には、ペット用もある

日本一を 独り占め

日本一長い足湯があるというので、いってみる、 なんと105メーターあるのだ。

ここの温泉の湧き出し温度が105度なので、105メートルにしたのだそうだ。

・・・・・しかし・・・・・ 別府温泉で300メートルの足湯を作る計画が出てきた、・・・・・とかで 小浜温泉の人たちは戦々恐々としている・・・・らしい。

 

雲仙へ、 天気が良ければ普賢岳か国見岳へ登るつもりだったが、

あいにくの天気で山はガスでロープウェイも運休らしいので 雲仙地獄谷を歩く。

この湧き出す熱湯で、切支丹を拷問した歴史もあったのだそうだ・・・。

雲仙地獄谷

この105度の熱泉で拷問を受けた切支丹の慰霊碑

やっと食べることができた 温泉たまご

雲仙郵便局で貯金

温泉たまごを売っていたので買おうとしたら、前の客が全部買ってしまい売り切れ、(ここのタマゴはそんなに美味いのか?)

思い起こせば、18年前、北海道 阿寒の硫黄山 白煙の中からたまご売りの声だけ聞こえていたが買えなかった。

           5年前  釧路川を漕いだ時に 今度こそ と思い再び硫黄山へいったが この時は売っていない、 失意のまま帰ったのだ。

またここ九州でも食べる事はできないのかと、思ったが 帰りに寄ったら 売っていて、食べることができた。  美味い!

冷えてまずくならないように少しづつ、つくるのだそうだ。  

 

山を降り島原郵便局を探し 貯金   

銭貯めてまっせぇ〜(笑)

記念貯金で、北は最北の稚内 南は 西表島郵便局なども通帳に印があるのだ。

島原郵便局で貯金

島原城 見学

今回の 歴史探訪の旅の当初の目的の一つに、この島原城もある。

私の住んでいる愛知県幸田町に深溝という地名があり 島原藩主であった深溝松平家の菩提寺「本光寺」には代々の墓もあるのだ。

この島原城の見学は、感慨深いものであった。

城の前の姫松屋

具雑煮

「具雑煮」とは島原半島地域で正月などに食べる独特な雑煮のことです。

この「具雑煮」の由来は、寛永14年(1637年)の島原の乱のとき、一揆軍の総大将であった天草四郎が3万7千の信徒達と共に原城に籠城した際、

農民達にもちを兵糧として貯えさせ山や海からいろいろな材料を集めて雑煮を炊き,栄養をとりながら約3ヶ月も戦った時のものが始まりと言われています。

これをもとに文化10年(1813年)、初代糀屋(こうじや)喜衛ェ門が味付に趣向をこらして生み出したのが「具雑煮」のはじまりと伝えられています。

2代目姫松屋嘉久平により屋号を姫松屋として現在に至っています。「具雑煮」の温和な味は島原の郷土料理として有名です。

 

雲仙普賢岳の火砕流跡をみる。

TVなどでは見聞きしていたが、 こんな場所まで、住宅がこんなにも埋まって・・・・、とおどろく

雲仙普賢岳の火砕流

で埋まった住宅

 

島原市から長崎空港へと向かって走る内に、諌早湾 堤防道路という表示を見つけ、

以前、TVでみた あのギロチンのような閉門の映像が目に浮かび、今どんな風になっているかと走る。

右は諌早湾で海、 左は調整池で淡水なのだ。

諫早湾干拓 

堤防道路を渡る

長崎空港で五島うどんを食べ セントレア空港へフライト

 

今回の旅は、

ハウステンボスで異国文化に触れ 最新の映像技術を見る

長崎で 軍艦島 グラバー園  大浦教会 平和公園 原爆資料館 中華街 出島

島原半島で 小浜温泉 雲仙温泉 島原城 島原の乱 雲仙普賢岳の火砕流痕 諌早湾干拓堤防 など

歴史探訪 そして うまいもん 名湯 と とっても充実した旅であった。