パラオ 3日目 ぺリリュ― 慰霊訪島 2016.03.11
ぺリリュー島 北港へ到着 |
今回の旅の主たる目的、 ぺリリュー慰霊訪島のため、
[ぺリリュー島 歴史探索ツアー]に参加。
ぺリリュー島は、 私の故郷の陸軍歩兵第15連隊の第2大隊 第3大隊の約2,000名を含み 日本陸海軍12,000名のみなさんが
米軍に徹底抗戦をし、全滅した激戦の地なのです。
高速艇で1時間ほどで ぺリリュ―島に到着
歓迎の看板 |
野戦病院跡の博物館 |
最初に 博物館へ
入り口横には、 爆弾と魚雷 |
この時計は壊れていますので、集合時間を間違えないように・・・・、 |
米軍遺品の展示 |
日本軍遺品の展示 |
この紐の結び方が違うと思うのは、 私だけ・・・? |
擲弾筒 |
九六式 軽機関銃 |
九二式 重機関銃 |
ジャングルの中の道を走り 日本軍司令部跡 へ
強固な建物で、2012年の台風時には、島民の避難場所になった。 |
艦砲射撃であいた大穴 |
和式トイレ 跡 |
風呂もあった |
太平洋戦争開戦時のペリリュー島には1200m滑走路2本が交差して上空からは誘導路含め 4 の字に見える飛行場があり、
この飛行場の争奪の為に米軍が攻撃をしてきたのである。
現在は、滑走路は一本で、不定期に使われるだけだそうだ。
昨年の天皇陛下ご訪問時は、海上保安庁の巡視艇からヘリコプターでこの飛行場へと降りたたれた。
飛行場の滑走路 |
飛行場近くの 日本軍九五式軽戦車の残骸 |
砲塔は失われている |
また、近くには 米軍 LVT の残骸 2輌がある。
オレンジビーチ上陸後侵攻してきた車輌である。
LVT -4 と LVT (A)-4 75mm砲 |
米軍 LVT (A)-1 37mm砲 の残骸 |
LVT (A)-1 37mm砲の後方にの階段の上には、日本軍の砲が鎮座している |
オレンジビーチ
1944年9月15日 米軍第一海兵師団が上陸してきた海岸 日本軍守備隊との大激戦となり 米兵の血で赤く染まった海岸は オレンジビーチと呼ばれるようになった・・・・・という説もある。 |
オレンジビーチのすぐ内陸に米陸軍第81師団の記念碑がある。 (米軍第一海兵師団の損耗が激しく、増援にきた米陸軍部隊)
ぺリリュー平和記念公園
日本政府が建てた慰霊碑 「西太平洋戦没者の碑」 |
仏さまの目をかたどっている |
雲の上の矢印の先は 靖国神社を指している |
西太平洋戦没者の碑 |
貝殻の線香台へ 日本から持って行った線香をあげ 慰霊 |
慰霊碑の海の先に |
日本兵 1,200名が全滅したアンガウル島が見える |
高崎湾
この名は、この地に布陣した歩兵第十五連隊の編成地が群馬県高崎市であったことに由来する。
島の北部には、水戸山と名づけられた山もある(第二連隊が茨城県水戸市)
日露戦争の激戦地 二〇三高地の高崎山も第十五連隊参戦による命名だそうだ。
高崎湾 |
南港の東屋でランチタイム |
日差しは強く、気温も30度超と思うが、東屋の屋根の下は風が通り、心地よい。
南の波止場でランチ後
ゼロ戦の残骸を見学 この機体は脚がでている事から地上駐機中に破壊されたもの。
戦後再建されてぺリリュー神社
神社にお参り |
横の敷地には、米第一海兵師団の慰霊碑がある |
ニミッツ提督の言葉の碑文 |
碑の裏には、和訳で刻まれている |
諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本軍人が いかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ 米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ |
ぺリリュー島 守備隊 顕彰碑 |
参加部隊名が記してある |
日本軍指揮官 中川大佐 自決の地の近くの顕彰碑を参り
階段を登り山頂へ
山頂には、ブラッディ・ノーズ・リッジ・モニュメントがあり展望台となっている。
日本兵 慰霊碑へ
みたま会 慰霊塔 と 慰霊碑群 |
日本から持って行った線香で慰霊 |
9時半から16時まで約6時間のぺリリュー島ツアーは終了した。
私が前橋市に住んでいた頃、自宅の庭木の手入れをしてもらった庭師のMさんに、第15連隊兵士時代の話を聞いた事がある。 (私の家の居間飾ってあった、第二次大戦中のドイツ軍のライフルKar98kのモデルガンがきっかけで聞けた話) 「あの銃は、俺が使っていたものとよく似ている 見せてくれ・・・・」 初年兵の時にノモンハン事件でソ連軍と戦い、南方では米海兵隊と戦った猛者であった。 ノモンハンでの話は、上官の命令で川から水をバケツで運んだ時、バケツに敵弾があたり水が漏れてしまった事。(狙撃されて身体に当たらず命拾いだったのだ) 重い装備を背負ったまま、何十キロも行軍しつつ、敵と遭遇し 撃ちあった話など・・・・。 南方での話は、あいつらは(敵兵)まだらの服を着いるので見えない、突然撃ってくる。(どこの島の事かは不明だが、敵は迷彩服を着た米海兵隊) ぺリリューでの戦いの話だったのかも・・・・? . 第15連隊とは別の話だが、 静岡のタクシーの運転手さんが海軍で空母赤城の乗員だった。 (私が旧海軍の略帽(レプリカ)をかぶっていたことから聞けた話) 空母「赤城」の名は、私の故郷の赤城山からとった名称、何かの因縁を感じる。 初年兵で赤城勤務を命じられ、乗艦の為探したがどこにいるのか不明だったので乗艦が遅れた (この時真珠湾攻撃出撃の為極秘行動だった) 真珠湾攻撃後にやっと乗艦でき、その後南太平洋、インド洋での戦いで敵空母を沈めてやったと得意そうに話し、 ミッドウェイ作戦に出撃前には、町の飲み屋で次はミッドウェイ攻撃だと話題になっていて、 真珠湾攻撃の時とは大違い、こんなに情報が漏れていて良いのか? と思ったそうだ。 ミッドウェイでの戦闘で、なぜ爆弾から魚雷に換装せずにそのまま攻撃機を発艦させなかったのかと悔しそうに語っていた。 攻撃機を爆弾から魚雷に換装中に、敵機の猛攻を受け 換装中の爆弾などに引火し艦は大破し、沈没したのだ。 など、元兵士さんの経験談を聞いた事が思い出される、 あの方たちは ご健在だろうか? |
高崎歩兵第十五連隊 連隊歌 1.三山天に連なりて 刀水岩に激しゆく 秀麗の地に生いたちし 阪東武士の血を承けて 立つや上州健男子 額の箭傷誇らなん 2.翠色濃き和田城を 繞りて清き烏川 連隊此処に築かれて 王愾の師の動く毎 勲の歴史重ねつつ 誉れを競ふ幾千歳 3.飛龍の松の枝蔭に 君が稜威を讃えつつ 心只管武を練れば 栄ある昔偲ばれて 堅き誓の一筋に 護国の任を果たさばや (4・5番省略) |
ホテルへ帰り、ダウンタウンを散策、夕食 パラオの ラーメン屋 へ
見かけた 私の愛車と同型 ラングラ―アンリミテッド |
ラーメン屋の前に停まっていた、ラングラ―YJ |
なんと、このラーメン屋 ノンアルコール ・・・・・でウーロン茶 |
春巻き |
貝ラーメン |
醤油ラーメン |
ラーメン屋 雰囲気は良いのだが・・・、 |
となりのスーパーに売っていた 塩ラーメン |
ビールを飲んで、ラーメン・・・と思ったら 何とアルコールはおいていない ノンアルコールラーメン屋だった。
グアム国際空港での醤油ラーメンが昭和風味で良い味だったので、
パラオのラーメンは、期待していたのだが 何と 味は薄い
麺はぐにゅぐにゅ・・・・
不味い
これは、ラーメンに見えるけど、違うものであった。
失意のまま、となりのストアに寄ったら サッポロ一番塩ラーメンを売っていた。 こっちの方がよかったなぁ〜(笑)
4,5日目 スキューバダイビング へ |