「洞穴探検」


♪行け〜行け〜、川口○○。 ♪行け〜行け〜、洞窟探検。


※下の画像をマウスポイントすると、もう1つの画像を表示し、画像説明文が表示されます。


こんこんと湧き出る水雨で、川下りに行けず、

インターネットで見つけた、洞穴探検に出かける。

 

林道沿いに湧き出る、水穴の水

← 画像をポイントで 

穴の奥をフラッシュ撮影した画像。

肉眼では、真っ暗で見えなかったが、

水がこんこんとあふれ出ている。

 

蛇穴への登り口

私の大好きな、ダート林道である。

水穴のすぐ近くに、蛇穴(じゃあな)入口を発見。


← 画像をポイントで 

登り口の看板と階段

 

 

 

説明看板洞穴入り口にある、説明版

天然の石灰岩洞窟(鍾乳洞)を利用して営まれた岩陰住居遺跡。

洞窟入口付近の堆積土から

縄文草創期・早期・前期・中期頃までの土器・石器・骨角器・獣骨など

数多くの遺物の発見と共に、炉跡と考えられる火を焚いた跡も確認されている。

← 画像をポイントで 説明版

 

 

更に奥へ史跡指定されているが、

出入りは自由、照明も何もない。

懐中電灯、ヘッドランプを装備して中に入る。

入り口は、狭く低い

← 画像をポイントで  

中に入ると以外に広い。

真っ暗の中、コウモリだろうか、

バタバタと羽の音、冒険気分を盛り上げる

 

   行け行け〜、川口探検隊・・・の気分である。

 

不気味な霧が発生懐中電灯の光をたよりに進んでいくと、

説明版でプールと書かれていた、

地底の池に到着。

画面右端に、板が掛けてあり渡れる様になっている。

← 画像をポイントで  

カメラに写っていた、霧の様なもの。

水蒸気なのだろうか、

軍資金を守るという武田の武者なのだろうか?

 

鍾乳石の穴頭を岩にぶつけながらも更に先に進む。

 壁にぶつかってしまう、ここで行き止まり

ロープが下がっているのだが(画像右端)、

登っても人が通れそうな穴はない、

小さな穴が見えるだけである。

←画像ポイント 小さな穴

ここで、引き返すしか道はない。

 

真っ暗なので、距離感はわからないが、入り口から約75mの地点である(説明文による)

 

まさに、鍾乳洞帰る途中でも、又霧が写っている。

頭を天井の岩にぶつけながら出口を目指して歩く。

(プラスティック製のオモチャのヘルメットでも被るべきだった)

・・・家には、軍用実物、プラ製レプリカがゴロゴロあるのに・・・

 

後ろを振り返り、懐中電灯の光のない方向は、

まさに、暗黒の世界である。

←画像ポイントで、様々な造型の鍾乳石

 

 

この間、私達以外、誰も来ず。ちょっとした、探検隊・冒険気分が味わえた。

洞穴を出ると、むっとする暑さ。気温は高くないのだが、洞穴内との差が大きいのだろう。

 

 

この嵩山蛇穴には伝説が多数残されています。


例えば、蛇穴という名前の由来は、

かつては大蛇が住んでいたという言い伝えからつきました。

このほかにも、洞窟が長野県の善光寺までつながっているとか、

長篠の戦いで負けた武田勝頼の軍資金が埋蔵されており、今でも武者が守っているなどの話があります。


 

 

長〜い階段この後、 ダート林道がどこまで続いているのかと、走ってみる。

道はどんどん狭くなり、車幅ギリギリとなり、

両側から、草木が迫ってくる。

押しのけながら進んで行く。

しかし、2Kmくらいで、行き止まりとなり、Uターン

 

← 画像ポイント

近くにある、浅間神社への長〜い、階段

 

 

腹社

階段を登りきると、浅間神社 足社がある。

 

更に、山道を登っていくと、腹社、その更に先に頭社があり

三社でなる 浅間神社である。

← 画像ポイントで腹社 

 

 

 

 

やっと登り着いた、頭社腹社から頭社への道

これが、けっこう遠い。

 

 

← 画像ポイントで 

やっと着いた、尾根にある頭社

 

 

 


崇山蛇穴(すせじゃあな)   愛知県豊橋市

 

発掘調査は、昭和16〜17年の間に3回、昭和22年に1回が行われています。

この時の調査で、洞窟入口前面に平坦地があり、入口内部に炉があったことがわかりました。

 出土した遺物は、縄文土器では草創期の表裏押圧縄文土器をはじめ

早期の押型文土器や前期、中期、晩期の土器片があります。

また石器や骨角器などの道具や獣骨や魚骨、貝殻などの食料残滓も発見されています。