2003年 2/1に 突然、気になった歌
月の沙漠(さばく)
作詞者 加藤 まさお
作曲者 佐々木すぐる
1 月の沙漠(さばく)を はるばると
旅の駱駝(らくだ)が 行きました
金と銀との
鞍(くら)置(お)いて
二つならんで 行きました
2 金の鞍には 銀の甕(かめ)
銀の鞍には
金の甕
二つの甕は
それぞれに
紐(ひも)で結(むす)んで
ありました
3 さきの鞍には
王子(おうじ)さま
あとの鞍には
お姫(ひめ)さま
乗った二人(ふたり)は
おそろいの
白い上衣(うわぎ)を 着(き)てました
4 広い沙漠を
ひとすじに
二人はどこへ
行くのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる
月の夜(よ)を
対(つい)の駱駝(らくだ)は
とぼとぼと
砂丘(さきゅう)を越(こ)えて
行きました
黙(だま)って
越えて
行きました
この沙漠とは、どこの沙漠の事なのだろうか・・・ 御宿町の像は、ひとコブ駱駝で、 王子、お姫様は、アラビアン風に見えるが、 歌詞からは、アラビアンとは、限らないい。 もしかしたら、蒙古の沙漠の ふたコブ駱駝 で 蒙古の砂漠の源義経かも・・・ |
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◆ 「月の沙漠」発祥の地 ・ 千葉県御宿町
大正ロマンの作家の一人に加藤まさおがいます。
挿し絵画家としていっせいをふうびした彼が結核を患い、
その病気療養のために滞在した
御宿の海岸をモチーフにして書いた詩が、
童謡として唱い継がれている「月の沙漠」です。
各地に、「我が町の砂丘こそが“月の沙漠”の発祥の地だ」という話があります。
確かに御宿海岸の白い砂浜もすばらしいものです。
しかしタイトに注目してみれば分かりますが、砂漠という字が、‘砂’ではなく‘沙’です。
これは次のことを意味しています。
ラクダが渡っていくのは砂浜ではなく、
月の光に照らされて金色に輝きながら、次々にうち
寄せる波の連なりの事なのです。
月の明るい夜、御宿海岸の砂の丘に座って海を眺めると、
詩人加藤まさおの書いた「月の沙漠」の世界がそこに広がっています。
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二木 紘三 氏 のHPでの紹介文
大正12年(1923)発表。
加藤まさをは、竹久夢二、蕗谷虹児、高畠華宵らとともに、
抒情画・叙情詩運動を進めました。
この詞は、千葉県の御宿海岸で想を得たものといわれ、
それを記念して、昭和44年(1969)、
御宿の砂丘に「月の沙漠記念像」が建てられました。
沙漠の「沙」の字は常用漢字にないために、
砂漠と書かれるようになりましたが、
地理学的にいえば、沙漠イコール砂漠とはかぎりません。
沙漠は、「沙=水が少ない、漠=広々としたようす」という意味で、
土だらけの土漠とか、岩だらけの岩漠というのもあるからです。
この歌では、砂漠でいいわけですが、原作に従って沙漠としました。
少々疑問に思うのは「朧にけぶる月の夜を」の箇所で、
湿度がほぼゼロの砂漠では、光が散乱しないために、
月がおぼろにけぶむることはあまりないのではないでしょうか。
雲や砂塵で霞むことはあるでしょうが。
イメージ的にも、輪郭のはっきりした月のほうが、
この歌には合うような気がします。
湿度の高い御宿で想を得たために、このフレーズが生まれたのでしょう。
「黙って越えてゆきました」という最後の1句によって、
二人が長い長い旅をしてきたという情景が伝わってきます。
佐々木すぐるのメロディ、とくにイントロは、
子どもの歌にしては官能的ですね。
そのあたりが大人にも好まれる理由かもしれません。
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砂丘を越えて
行きました
黙って 越えて
行きました