金沢WWU倶楽部キャンプ 7月23,24日
これは、米軍初期の海兵隊装備である
日米開戦当初の米軍装備は、第1次大戦時の装備そのまだった。
銃はスプリングフィールドM1903 ボルトアクション、ヘルメットはイギリス軍型
銃剣は、日本軍の三十年式より長いものである。
23日は、夕方 ミニゲームが行われ、 その後、宴会となる
宴会 |
24日
独逸軍 対 日米軍による ゲームが実施された。
装備点検する日本軍 |
私は太平洋戦線初期の米海兵装備だったので、できたら、日本軍と戦いたかったのだが、
参加人数により、こうなったのである。
太平洋戦争で日本に降伏し、日本の属国になった米国軍兵士が、
ソ連を撃破し、ユーラシア大陸を越えて進撃して来た独軍と
アジア太平洋地域を防衛する為、日本軍と共に戦う事になった・・・・・・のであろうか。
開会式 手前から、米・日・独軍と並ぶ |
独逸軍 12名
日本軍 8名
米軍 4名 の 戦力的には五分の戦いであったが、
ハーフトラックで、陣地へ向かう独逸軍 |
この日午前後半戦の 塹壕陣地攻防戦では、
日米軍は、独逸軍の陣地を見事に攻め落とし、
その後の陣地防衛では、独逸軍の猛攻から、見事陣地防衛を果たし、
独逸軍のアジア進出の野望を 打ち砕いたのであった、 のかな?
塹壕陣地脇の死体置き場 |
ケ号作戦の御殿場から、遠路はるばる フリッツさん、ノルトさん、アルバートさん達が参加 |
御殿場、金沢の 二次戦交流ができた、記念すべき日であった。