震災後7年経た陸前高田       2018.07.22

津波被害のままの中学校校舎   6年前に来たと全く同じ

この建物は、津波被害の記録として保存か、解体するか議論されているようだ。

2012年5月に災害ボランティアで来た時のその後を見たくて陸前高田へ

ボランティアセンターのプレハブが残っていた。

JR大船渡線の鉄橋は破壊された当時のまま   この鉄道は現在もバス代替

6年前、壊滅していた市内   あれ、いまでも何もない?

土地のかさ上げ工事が行われているが、工事車両は少ない。

6年前と同じ 破壊されたままの高層住宅

その周辺のかさ上げされた土地

瓦礫や、車の残骸などは撤去されていて、かさ上げ工事はされている。

破壊された建物は大分撤去されているが、何もない風景は、6年前と変わらない。

壊れたままの道の駅

道の駅の前のガソリンスタンドは復活営業中 数日後かさ上げ地に移転するそうだ。

後日、あのガソリンスタンドの記事がでた。

6年前の写真  偶然撮れていたガソリンスタンドの看板

市内で唯一営業していたガソリンスタンドで給油。

6年前に来た時は、破壊され看板だけが立っていたが、その後復活営業している、

津波は、このスタンドの、高さ15mの看板を越えたのだそうだ。

近日中にかさ上げされた土地に移転すると、言っていた。

 

7月31日のネットニュースで、移転の記事が載っていた。

この看板は新店舗でも使われるそうだ。

高台に移転していたスーパーマイア

かさ上げされて土地に建てられていた高層住宅  手前の水田は復活している。

スーパーマイア、6年前には 市内中心部に 3階建ての柱と看板だけが残っていた。

一本松の 実物大オブジェ  6年前は本物だったが枯れてしまったのだ。

防潮堤 工事中

6年前にボランティアで、瓦礫撤去作業を行った、漁港へ行ってみた。

6年前、私たちが瓦礫撤去をした漁港

漁港として機能していたので 安心 嬉しかった。

2012年 5月 私たちの陸前高田での災害ボランティア活動

2012年 5月 その時の陸前高田の光景

陸前高田は、6年前とあまり変わっていない! 

6年経ってから来てみてこの光景には、衝撃を受けた。

 

この後、復興道路と称する新しい道の 三陸沿岸道路で仙台へ向かったが、・・・・・・

この新しい道を作る資金、資材、人材は、陸前高田のような被災地の復興に当てた方が良いのではないか? と疑問を感じながら

(陸前高田の市内の土地のかさ上げ工事現場の工事車両は、数台しか稼働していなかった・・・・。)

 

新しくできた三陸沿岸道路を通り、仙台港へ

仙台港フェリー乗り場

車輌積載待ち

仙台港を12:50出港

翌朝見えてきた伊良湖半島

23日

翌日 10:30 名古屋港に到着

名古屋港到着

無事 下船  気温38度は こたえる(笑)

自宅に到着、気温38度のなか、カヌーや、キャンプ用品を降ろして、

今回の旅は終了となった。