オマーン・アドヴェンチャー「砂漠と海と緑のアラビア」 その1 2020.02.03-04 ダウ船でサンセットクルーズ |
文章は、素浪人そのUによる。
風呂レンシアにオマーン旅行に誘われて・・・しばらく行けなかったが それまで全く知らなかったオマーンを訪れた。
ある人はオイルマネーに溢れた豊な国と言い、ある人は砂漠の国と言い、ある人はアラビア半島の山脈の国
ある人は中東の平和の国という・・そんな オマーンを堪能した。
オマーンアドベンチャー 砂漠と海と緑のアラビアへ
セントレア空港から成田空港へ |
極端に人の少ない成田空港 新型コロナウィルスの影響か? |
この日は節分、 恵方巻を食べる |
成田から12時間半でドーハへ |
ドーハから |
オマーン マスカットまで |
コロナウイルスの影響でこの2月の時期には信じられない閑散としたセントレアから出発。
2月3日は、節分で吉方をみて太巻きを食べ 旅立った。
セントレア→成田→ドーハ→オマーンの首都マスカットに
清潔な空港で現地ガイドの笑顔が私たちを迎えてくれた。
マスカット空港の トイレ |
ガイドのドライバー達 |
オマーン国内は禁酒のため買えないので、 空港免税店でキャンプ用のビールを購入 |
日本車が多い、 トヨタ、日野、ホンダ、ニッサン、マツダ、スバル、 そしてJeep |
国王が亡くなって喪に服しているので 半旗で音楽はないがその笑顔に 国民の陽気さが伝わってくる。
今年1月に安倍首相が中東の平和の要の国として訪問している。
丁度その時期1月10日 オマーン王は亡くなり 国民は涙を流して天を仰いだ と
30代のガイドは、 町のいたるところに飾ってある王遺影をみて話し出した。
「私たちが今のように幸せに暮らせるのは 王のお陰だと全国民が認識している。
1970年王が即位すると 鎖国を解いて国を開いた。
移民に仕事を圧迫されている国民に仕事を与え、税や医療費、教育費を無料にした。
国民は、21歳になると国から土地が提供される。
シングルマザーや財政的に苦しいものには建物も国が提供してくれる。
王は国民の声を聞くために 地方に一ヶ月住みこむ その時の建物があれだよ」
小さな村の中の平屋を指さした。
ホテル到着 JeepラングラーTJが |
国王の遺影のあるカウンターでチェックイン |
部屋 |
ホテルレストランで昼食 |
車の走るマスカットの街は、ごみ一つ落ちていなくて
きれいに選定された立木がまるで映画のセットのようだった。
そこには 間違いなく陽気で人懐こい人々が暮らしているのだ。
昼食後 ホテルで休憩をとり サンセットクルーズのためダウ船に乗り込む。
オマーンの女性は 滅多に外出しない。家族旅行とのこと
結婚すると メイドのいる家庭では家事をすることもなく ベビーシッターが子供の世話をし
美しくあることに心を砕くそう。
同行の添乗員は、どうすればオマーン人と結婚できるか聞いていた(笑)
オマニコーヒー(カルダモンの入ったコーヒー)のお供は この国自慢のデーツだ。
出発前に 西遊旅行のMさんが オマーンのデーツは世界一と教えてくれた。
サンセットクルーズ船 |
アラビアン・ファミリー |
ソファーでのんびり |
オマニコーヒーに、デ-ツ |
夕陽に照る乳香炉の形の展望台 |
港に停泊するクルーズ船 |
美しい夕日の後は
人々が賑わう200年の歴史あるスークへ
魔法のランプやエキゾチックな刺しゅう 乳香の心地よい香りが アラジンの世界にいざなうようだ。
下船後 スーク(市場)へ |
とっても明るく |
人出が多い |
乳香 |
アラジンの魔法のランプ |
ペルシャ 刺繍 |
夕食も日本人の口に合うものだ。
アラビアンナイトは、ワクワクと更け行く
私の以前の愛車と同型 Jeepチェロキー |
私の現在の愛車と同型 Jeepラングラー |
街のレストランで |
夕食 |